鈴江コーポレーションが古くから営業倉庫を持つ竹芝地区は、時代の変化と共にウォーターフロントブームが起こり、エリアの用途が様変わりしてきました。弊社はその時流に合わせ「建物の有効活用」から「土地の有効活用」へと方向転換を行い、3つの倉庫をオフィスビルへと建て替え、“物”だけではなく“人”の流れを生み出してきました。現在は竹芝地区に建設したビルの運営・管理を行う一方で、仲介やサブリース業、建設業の免許を活かした建築事業なども行っています。
物流倉庫会社が不動産関連部署を持つメリットのひとつに、自社の土地を自ら開発できる強みがあります。開発エリアを総合的にプロデュースできるため、柔軟性に優れ、自由度の高い計画も可能になります。
竹芝地区において手掛けた三期にわたる再開発プロジェクトにおいては、ビルの建設にとどまらず、海と緑の融和した竹芝地区のまちづくりの一環となる開発を目指し、取り組んできました。今後も物流倉庫会社の不動産事業部としての強みを活かした事業を行ってまいります。
江户湾的浅滩竹芝一带为通过地区改良计划从明治后期至昭和初期所填埋的一块区域。
1926年首座近代码头日出码头完工。1932年货船专用码头芝浦码头完工,1933年用于卸货的竹芝码头完工,昭和16年东京湾对外开港。第二次世界大战开战后,该港变为了军港,战败后,虽然东京湾曾被接管,1951年东京港被置于东京都的管理下,码头的复兴功能与全新的填埋工作就此进行。
进入昭和30年代后,使各大港口可进行大型货船靠岸卸货的港湾整备计划得到了制定,在昭和40年代中,更多规模宏大的建造工程与港湾整备得到了实施,其中包括日本首艘远洋集装箱船在品川码头入港以及日本首艘集装箱专用货船首次航行等等。
在昭和50年代,随着生活方式的变化,货物也明显地变得越来越多样,集装箱码头的整备与重新评估得到了进行。在昭和50年代后半期,兴起了阁楼文化与海滨热潮,新的仓库使用方法也得到了关注。进入平成年代后,竹芝地区通过二次开发设立了附设公园的竹芝客船码头,仓库街与货物站逐渐变成了酒店与办公楼。被选为国际集装箱战略港湾的东京湾继续进行进一步的扩大与改良,远洋航行货轮集装箱的吞吐量发展为了全国第一。
現在の竹芝地区では、産業振興やビジネス拠点の形成、歩道・オープンスペースや緑地の整備などの開発を契機とし、豊かな自然、ビジネスや観光の拠点など多様な機能を備えたエリアへと姿を変えています。
铃江公司的前身为铃江组,在明治41年设立于神户。本公司以普通海陆运输与劳务承包业为主要业务,于1924年将总店迁移至了横滨,并于1946年设立了仓库部,全力经营了营业仓库与运输部门。1952年,本公司将法人地位改为船舶装卸部门,设立了铃江组股份有限公司,于翌年开始了“竹芝仓库”的营业,并设立了东京支店。
从1955年左右开始,随着横滨港集装箱码头的扩建,本公司通过在京滨港与鹿岛港等大型港湾地区设置营业所,包括山下码头营业所、晴海码头营业所、本牧码头集装箱码头营业所、大井码头集装箱码头营业所等,扩大了流通路线与仓库业务。
昭和50年代後半にはロフト文化やウォーターフロントブームの時流に合わせて弊社も倉庫の有効活用に目を向け、アパレルメーカーやショールーム、イベントスペースなど新たなテナント誘致を積極的に行い、ロフト文化の一端を担います。 そして、今ある建物を活用するよりも、新たに土地を活用することに優位性を見い出した弊社は、倉庫を平成2年と平成12年に「スズエベイディアムビル」と「竹芝ビル」に、令和3年には「竹芝クリスタルビル」に建て替えを行い、現在は地域社会と一体となり魅力的なまちづくりに取り組んでおります。鈴江コーポレーションはこれからも、時代のニーズに柔軟に対応しながら、豊かな歴史や自然、国際性を備えた竹芝地区のさらなる発展に貢献してまいります。